はじめに
投資を始めたばかりの方が、まず最初に耳にする有名な格言があります。 「卵は一つの籠に盛るな(Don’t put all your eggs in one basket)」
リスクを分散させ、万が一の事態に備えて資産を小分けにする。これは一見、非常に賢明で、思慮深い判断のように聞こえます。かつての私も、その言葉を疑いようのない「正解」として信じ込んでいた時期があります。
しかし、FXに没頭し、数十ページの投資ノートを書き溜め、膨大な失敗とわずかな成功を繰り返す中で、私は全く別の側面に辿り着いたのです。
「卵は一つの籠に入れ、その籠を全力で監視せよ」
誰の言葉か忘れましたが、世の中に溢れる「分散」という名の罠と、私たちが人生において本当に持つべき「価値観」のあり方について、私の苦い経験を交えてお話しします。
分散投資が奪うのは「リスク」ではなく「意志」である
なぜ、多くの専門家は分散投資を勧めるのでしょうか。 その理由は明白です。「致命傷を負わないため」です。投資先をバラバラにしておけば、一つの市場が暴落しても、資産全体がゼロになることはありません。
しかし、この「安全策」には、語られることのない裏の側面があります。それは、**「大きな勝ちを自ら放棄している」ということであり、さらに言えば「一つひとつの投資先に対する正確な分析(監視)を怠ってしまう」**ということでもあります。
信念なき分散は「迷い」の現れ
リスクヘッジを徹底し、あちこちに資金を散らせば、確かに一時的な安心感は得られるでしょう。しかし、多くの籠(投資先)を持てば、一つひとつの籠の利益も必然的に分散します。
それは戦略的な分散ではなく、単なる「どれが上がるか分からないから全部買っておこう」という「迷い」の現れに過ぎません。投資の世界で非凡な成果を上げるのは、いつの時代も、自分の知識と経験から戦略を練り、選び抜いた一つの籠(優位性)を客観的に監視し続けた者だけなのです。
エピソード:安月給の10%を占めた「安心」という名の重荷
この「分散と集中」という考え方は、なにも投資の世界だけの話ではありません。私たちの日常生活、特に「保険」の在り方に色濃く反映されています。
ここで、私の若かりし頃の恥ずかしい、けれど大切な転機となった話をします。
親に言われるがままの契約
就職して間もない頃、私は親に言われるがまま、ある生命保険を契約しました。当時の私の給料は、決して余裕のあるものではありませんでした。しかし、その保険料は手取り額の約10%という、無視できない重い負担となってのしかかっていました。
毎月の支払いのたびに、買いたいものを我慢し、趣味を控え、私は自分自身にこう言い聞かせていました。 「これは将来の安心を買っているんだ。万が一のことがあったとき、家族や自分を守るための『投資』なんだ」と。
拭えない違和感の正体
しかし、心のどこかでは常に納得いかない自分がいました。 「もしもの時」という、いつ来るかもわからない、実体のない恐怖のために、今この瞬間の可能性を削り取っている。そのことに強いストレスを感じていたのです。それは、自分で選んだ籠ではなく、誰かが「安全だ」と言った籠に、中身も見ずに卵を預けているような感覚でした。
30歳になったとき、私は決断します。その生命保険を思い切って解約したのです。
解約して得た「視界の透明度」
解約して浮いたお金を、私は自分の意志で選んだ「貯蓄型保険」や、自分のための学びに振り向けました。その瞬間、信じられないほど心がスッキリしたのを覚えています。
それは単にお金が手元に戻ったからではありません。「誰かに言われた安心」という名の思考停止をやめ、自分の資産という籠を、自分の意志で決定し、自分の責任で管理し始めたからです。
「安心」という名の税金を払いすぎていないか
私たちは、将来の不安を解消するために、多くの「代償」を支払っています。 保険料、世間体、そして「みんながやっているから」という理由で選ぶ無難な選択。これらはすべて、自分の人生に対する「思考停止の代価」ではないでしょうか。
監視なき分散はコストでしかない
「もしもの時」のために、いくつもの籠に卵を分けておく。しかし、その籠がどこにあり、中身が今どうなっているのかを把握していないのであれば、それはもはや投資ではなく「コスト(経費)」です。
無駄な保険や、確信のない分散投資に資金を散らすくらいなら、その資金を手元に集中させ、自分自身のスキルアップや、自分が「これだ」と確信できる本命の籠を強固にするために使うべきでしょう。その方が、長期的には遥かに大きな「真の利益」へと繋がります。
覚悟を決めて「監視」することの真の価値
ここで誤解していただきたくないのは、「一つの籠に入れる」ことは、決してギャンブルではないということです。そこには必ず、**「圧倒的な監視(管理)」**がセットになっていなければなりません。
「監視」とは「愛着と責任」
自分が選んだ投資先、自分が始めた副業、自分が信じて磨いているスキル。 それらが今、どのような状態にあるのか。 時代の変化という風にさらされて、籠が傷んでいないか。 卵にひびが入っていないか。
卵を一つの籠にまとめるからこそ、私たちは本気でその籠を守り、育てる努力をします。24時間、そのことについて考え抜き、異変があれば即座に対応する。この「逃げ場のない集中」こそが、結果としてリスクを最小限に抑え、リターンを最大化させるのです。
分散して薄まった安心感を得るよりも、一点に集中して「負けないための努力」を継続する。これこそが、大人の投資家が持つべき誠実な態度だと私は信じます。
人生の教訓としてのまとめ
私の投資ノートには、分散して失敗した記録と、集中して成功した記録の両方が刻まれています。そこから得た教訓は、極めてシンプルです。
- 「正解」を他人に委ねない 親や世間が勧める「安心」が、あなたにとっての最適解とは限りません。自分の籠は、自分で選ぶ。自分の頭で考える。
- 管理できないものは持たない 自分の目が届かない場所に卵を置くのは、リスクヘッジではなく放置です。監視できる範囲と対象に集中しましょう。わからないものに手を出さない。
- 退路を断つ集中力が道を拓く 「もしダメでも、あっちがある」という選択肢が、本命の籠の監視を疎かにします。一点に注ぐ熱量が、非凡な成果を生みます。
おわりに
私は現在、この「ブログ運営」という新しい籠を手にし、毎日その籠を全力で監視しています。かつてのFXのように、数字の動きに一喜一憂するのではなく、言葉の一つひとつが読者の皆さんにどう届くのかを、丁寧に、誠実に「監視」していきたいと考えています。
リスクを恐れて、中途半端に多くの籠を抱え、すべてを平均的な結果で終わらせる。そんな生き方は、もうやめました。
皆さんの手元にある卵は、今、いくつの籠に分散されていますか? その籠、本当にすべてを自分の目で監視できていますか?
もし、どこか納得のいかないものを感じているのなら、一度その籠を整理し、自分の「本心」に正直になってみてはいかがでしょうか。その先に待っているのは、かつて私が感じたような、驚くほど晴れやかな世界かもしれません。
※この記事は、筆者のNote([https://note.com/lovely_holly9784/n/nfeff0d121f50])に掲載した内容を、加筆・修正して再構成したものです。

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